2020年を終えるにあたって(間に合わなかった)

 ごきげんよう。くろぱんです。予め言い訳しておきますと、ただいま大変酔っぱらっています。碌に推敲もせず書くものですから、いつも以上に乱文だとは思いますが、寝正月の暇潰しとして読んでもらえれば幸いです(あとで大幅に編集・加筆するかもしれません)。

 

予想などできない

 2019年の大晦日、私は独りで台北にいました。私は無学なので中国語ができないのですが、漢字だけで書かれた文章を必死に「読み下す」ことで一週間を乗り切りました。文章は何とかなる(メジャーな観光地なら英語併記どころか日本語で書いてあったりもする)のですが、中国語で話すことと聴くことだけはさっぱりできません。それでもカウントダウンの日は台北101の下、群衆のなかにいました。近くの広場でショーがあって、ØZIが歌っていました。中国語のラップは全く分かりませんでしたが、周りに合わせて騒いでいました(帰国してからYouTubeで字幕と共に聴くと大意がつかめるのは、なんとも不思議な感覚です。表意文字ってすげえな)。

 閑話休題台北101のカウントダウンは圧巻でした。台湾で一番高いビルから花火が舞い散るのです。あの時、あの摩天楼を数えきれないほどの人間が見上げていて、そのなかの誰がコロナ禍など予想し得たでしょうか。2020年を振り返るにあたって、ウイルスの広がりと社会の移り変わりに呆然とさせられます。

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平穏な年になると思っていた

 半年以上前の話で恐縮ですが、緊急事態宣言のころに「コロナ禍の下であれこれ悩んでも仕方がない」という記事を書きました。

kuropan.hatenadiary.jp

今でもその心境にほとんど変わりはありません。コロナの危機は未だ終わらず、多くの人間が東京の感染者数を見る度に右往左往しています。あれから半年以上が経ちましたが、「ウィズコロナ」の世界は禍福ともに見通せません。私自身、件の宣言の後、お上から配られた10万を握りしめ、補助を貰って日本各地を彷徨う日々がやってくるとは思いませんでした。新手の肺病が私を更なる旅行狂にするだなんて、意味が分かりません。

 つまるところ激動の社会情勢しかり、メンヘラの思考しかり、やはり自分でコントロールできないことについて予想を立ててもろくすっぽ当たりませんし、あれこれ考えるだけ時間の無駄でしょうね。

 

ただ、後ろに生々しい現実がある

 しかしながら、正直なところ、当時の私はもう少し早くコロナ禍が終息するだろうと心のどこかで思ってもいました。長期戦のさなかですが、振り返れば、社会のなかで「建前」「理想」とか、それを下支えする「余裕」といったものが少しずつ削られていって、すぐ後ろに生々しい「現実」が迫ってくるような感覚がありましたね。

 「大手の正社員にならなくてもいい」とか、「職業に貴賎なし」とか、「自分のキャリアは自分で決める」とか、「老いに負けない人生を歩もう」とか...そういったある種の夢見がちな建前や理想は、この危機を前にして脆く崩れてしまいそうな気がします。派遣社員の雇用打ち切りは遠い世界の話ではないし、地元の小さな会社は資金難で苦しんでいます。また、いくら心身の若々しい人でも高齢者は高齢者であり、新手の肺病は容赦なく年長者を襲います。医療従事者その他エッセンシャルワーカーと「不要不急」の仕事をする人々の扱われようの違いのなかにも、不気味な「差異」が横たわります。緊急事態宣言の頃、開店しているパチンコ屋が叩かれましたが、本当にあれでよかったのか、私は未だに答えが出ません。

 私自身に目を向けても、こんにち自分が貧苦にも病苦にも喘がずに新年を迎えられるのは、売り手市場の中で無事に採用され、大資本の恩恵に与る若い正社員だからだとも言えます。それは時の運によるところも大きいと認めざるを得ません。

 なるべく明るく前向きに物事を捉えたいとは思っていますが、この1年、感染症との苦闘と経済的な苦難が同時並行でやってきて、社会は疲弊し、余裕を失ったことは確かでしょう。自分自身のことでも社会全体のことでも、希望も理想も娯楽もコロナ前より遠ざかっていってしまったような息苦しさがあります。

 

それでも進むしかない

 感染症と経済問題のふたつを乗り切って生きていくということは、砲火の下を駆け抜けていくようなものなのかもしれません。業界全体が傾くような経済苦の「大砲」を避け、感染症という「銃弾」に当たらずに死地を抜け出すのは、運次第の部分もあります。しかし斃れる恐怖に怯えているだけでは前に進めません。立ち尽くしている方が危険です。今は自分でコントロールできる事柄について考え、行動していくしかないのでしょう。家計のこと、仕事のこと、精神衛生のこと等、熟考の余地があることについてはよく悩めばよいし、つまるところ見通せないこと、自力ではどうしようもないことについては鷹揚に構えるしかないのです。社会情勢は厳しいかもしれませんが、せめて気持ちだけは明るく、前向きに歩みを進めるほかないようです。

 きっと今年も色々なことがあると思います。少なくとも今年中ごろまではコロナ禍は終息しないと思いますが、苦難のなかでも「よりよく生きる」という意欲と、「よりよく生きられる」という希望を捨てないでいたいですね。

 そんなところで「酔」と「睡」でくたばりそうな私からの駄文はここらで〆にしたいと思います。

 2021年が読者諸賢と私の互いにとって実り多い年になれば何よりだと思います。色々あっても、一つ一つ乗り越えていきましょう。今年も何卒よろしくお願いいたします。

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北大植物園にて。今年も何回か札幌に行こうかなと。

 

天に星 地に花 人に愛知

 これは「ただの旅行記」がウケるかどうかのテストです。滑ったら、今後いっさい旅行記なんて書きません。ちなみにこの記事、前代未聞の冗長さでして、大変申し訳ない。

 さて、先日まで世は大自粛時代でしたが、今は国家権力に睨まれずに旅行を楽しむことができます。自粛明け経済ブン回し旅行第一弾は愛知旅行です。俺は名古屋を飛ばさない。むしろ名古屋へ、かっ飛ばしていけ。

 

知多半島徘徊

 朝一番の新幹線ひかり号。小田原から名古屋まで1時間くらいです。そこから名鉄線に乗り換えて大野町へ。大野とその隣の大草にはそれぞれお城(?)があります。

大草城 -幻の城-

 まずは大草城。この城は戦国時代に織田信長の弟、織田長益によって築城が進められましたが、本能寺の変によって信長が亡くなり、長益自身も豊臣秀吉によって移封され、大草城は堀や土塁しか完成しなかった「幻の城」となってしまいました。

 そんな大草城ですが、その後も歴代の領主によって堀や土塁の整備が続けられ、当時の防御設備の形態を後世に伝えています。天守閣がなくとも、堀や土塁があるだけで軍事的に有用ですからね。

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「復元」ではありません。オリジナル設計です。

 この天守閣っぽい展望台は1979年に竣工したそうです。ということは、大草城は1979年に「完成」したと言えなくもない。サグラダ・ファミリアのごとく竣工が遅れましたね。お疲れさまでした。

 戦国時代も令和時代も相変わらず、あなたが大きなプロジェクトに携わっている最中でも、人事は大してそんなことを考慮せずに転勤を命じてきます。大草城の歴史は、「携わっているプロジェクトを途中で放棄しても、後任がその残骸を使いたければ勝手に使うでしょ」ということを我々に教えてくれます。

 読者諸賢も異動が決まったら、溜まった書類であなたなりの「土塁」を積み上げ、あとは忍者のように息をひそめてドロンしましょう!もし後任がそのプロジェクトを完成させたら、「完成手前まで作り上げたのは俺だ」と声高に叫び、手柄を強奪しましょう!!

大野城 -城は埋もれたが山海は変わらず-

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大野城。これも当時の城の復元ではありません。

 次に、ちょっと歩いて大野城へ行ってきました。戦国時代、佐治氏がここを拠点としたそうです。かつて城があった小高い丘は宅地として開発され、「城跡」として整備された区画は丘の頂上付近の僅かなスペースのみです。この城は先に挙げた大草城の築城に伴って廃されました。結局、織田長益の移封後、この地域には大草城という「城もどき」と大草城という「廃城」が遺されたのです。後任者、不憫なり。

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見晴らしのよさによってこの地に城が築かれ、水利の悪さによって放棄されました。

  ここには伊勢湾がよく見渡せる展望台があり、それが一応「天守閣」なのですが、当時の姿を復元したのではなく、新規設計です。当日は梅雨時にしては珍しく天気がよく、海の向こうの山々まで見えました。

 大野の佐治氏は江戸時代にはすっかり歴史の表舞台から姿を消し、かつての居城も荒れ果てましたが、山の大きさと海の青さは往時のままです。

常滑 -陶器の町-

 お次は常滑市街へ。常滑は陶器の町です。特に朱泥の急須が有名ですが、そういった一点ものの食器や茶器だけでなく、土管やタイル、便器、洗面台など、時代に応じて様々な窯業製品を大量生産してきた「工業都市」です。窯に改造を加えて燃料を薪から石炭に変更したり、中規模の窯でも土管を大量に作ったりするなど、明治時代からずっと「近代化」「工業化」にかなり力を入れていたようです。一口に陶磁器の産地と言っても、萩(山口県)のような芸術性に特化した窯業の町とはまた趣が違います。

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土管坂。おそらく常滑で一番の名所です。

 常滑ではコップや急須や茶碗を買いました。それらはそのうち紹介するかもしれません。陶器の町なので、当たり前ですが陶器の店が数多くあり、個性豊かな品々を買い求めることができます。それにしても若いカップルの客、沢山話しかけてくるタイプの職人に気圧されがち。これ、あるあるですね。

 

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常滑の川は穏やかで上品です。下流なのでちょっと色々浮いてますけどね。

 さて、工業と観光の両輪がうまく連動しながら発展してきた常滑は、中部国際空港の開港と発展によって今後も伸びていくのではないかと私は期待しています。

 急須や茶碗から便器や電気設備用の碍子に至るまで色々作る窯業の守備範囲は広く、たとえ主力製品が移り変わっていっても当分は廃れないように思います。現に陶器製の土管や焼酎瓶の時代は終わりましたが、衛生陶器などは今でも堅調です。

 そして、コロナ禍で観光地が苦しんでいるのを間近で見てきた者としては、観光需要がありつつもそれに頼りすぎない常滑市の盤石具合を羨ましく思います。観光は国際情勢の変化をはじめとする突発的なトラブルにめっぽう弱いですからね。

 また、中部国際空港の開港によって、常滑知多半島という小さな半島にありながら、交通拠点としての役割も大きくなりました。

 工業にせよ観光にせよ、それに一辺倒だと、その産業が斜陽になった時に町ごと衰退する例はかなりあります(夕張とかデトロイトとか)。その点を踏まえると、工業・観光・交通拠点の3つの要素がバランスよくミックスされた常滑は、時代の変遷に対応しやすいタフな町なのかもしれません。 

 

城北線からの愛知環状鉄道からのリニモ -妙な大移動-

 2日目は名古屋スタートです。愛知の様々な鉄道を堪能しました。移動手段が目的と化してしまいました。

城北線

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枇杷島~勝川の街中を駆け抜ける1両ワンマンカー

 名古屋の隣駅、枇杷島から勝川まで結ぶ城北線は、一言で表すなら「変な路線」です。名古屋の街中に立派な高架線があり、そこをショボいワンマンカーがトコトコ走ります。どうしてこんなことになったのか?それは「賃借料負担が重い⇒運賃が高すぎ⇒利用者が敬遠⇒儲からない⇒賃借料負担が重い」という負の連鎖が続いてきたからです。城北線JR東海が苦し紛れに作った子会社が運行しています。運賃は初乗り230円、終点までわずか11kmで450円です。なかなか高いですし、日中は毎時片道1~2本程度しか列車が来ません。都会にありながら、田舎の列車並みにダイヤはスカスカで、1両編成のディーゼルカーがガラガラでした。結局、近隣の皆さんは名鉄に乗っているようです。

 ボロクソ言ってしまいましたが、旅行で乗る分には大変面白い路線です。田舎で走るようなワンマンカーが都会を疾走します。また、今後10年ほど経つと路線の賃借料が変わるそうなので、その前後に運賃が安くなったり、増発したりする可能性は大いにあります。将来性と大人の事情で生き延びているような路線、それが城北線です。

 

愛知環状鉄道

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岡崎駅にて。

 愛知環状鉄道高蔵寺から岡崎を結ぶ鉄道です。環状鉄道と名乗っていますが、山手線のようにグルグル円を描いているわけではありません。むしろ愛知県の東側を南北にぶった切るように走ります。この路線は色々な大人の事情があって第三セクターとして今に至ります。というか、城北線愛知環状鉄道も「愛知の事情」を引き受けた結果として生まれた存在です。詳しく知りたい方は「日本鉄道建設公団」でググってみてください。大人の事情の塊のような公団です。

 今回は高蔵寺から岡崎まで、八草で途中下車しつつ全線を乗り通しました。今回は素通りしましたが、途中にある瀬戸市も陶磁器の有名な町です(ちなみに陶磁器のことを「せともの」というのは当地の瀬戸焼が由来です)。沿線にはトヨタで有名な豊田市もあり、「ものづくり」の町を結ぶようにして電車が走ります。

 わざわざ全線を乗り通す私はただの「ものずき」です。

愛・地球博記念公園リニモ

 私と同世代の諸賢は「愛・地球博」を覚えていますか?モリゾーとキッコロ、懐かしくないですか?あれが15年前(2005年)なんですよ。驚いちゃうね。

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かつて私もキッコロのようなガキでしたが、今やモリゾーのように...

 かつての会場は「愛・地球博記念公園」となりました。万博前からここが公園だったこともあり、色々な施設が存在しています。

 入口の近くにある愛・地球博記念館へ行ってきましたが、各国から送られた記念品やら各パビリオンの説明やら色々な展示物があり、往時の繁栄が偲ばれます。愛・地球博は環境問題をテーマとしている要素が強く、来場者にもゴミをかなり細かく分別させていたそうです(会期中に行ったことがないので詳しくは知りませんでしたが)。そういえば、あの頃は日本全体で環境問題への関心が強く、二酸化炭素云々みたいな話題が大きく取り上げられていましたね。京都議定書の発効がなんちゃらとか。

 ちょっと面白いのは、愛・地球博には天然ガスを燃やしまくるパビリオンが存在していたことですね。今の市井の感覚なら「そんな環境に悪いことをするな」と言われそうですが、当時は天然ガスが「地球にやさしい新時代の燃料」みたいなツラをしていました。確かに石炭と比べるとかなり環境負荷は小さいですが、それでも燃やせば二酸化炭素が出ますよ...。

 記念公園へは、八草で降りてリニモに乗り換えて向かいました。リニモを簡単に説明すると、無人で走れるリニアモーターカーです。それほど高速ではありませんが、空中に浮きながら走ります。新交通システム(ゆりかもめシーサイドライン等)の変わり種といったところでしょうか。万博向けの見世物的な要素もありましたが、開業から15年経っても健在ですし、何よりすごいのは5年ほど前から黒字ということです(コロナのせいで今年はさすがに分かりませんが...)。

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新技術は博打です。リニモは成功例でしたね。

 愛・地球博記念公園の隣駅には陶磁美術館があり、私も訪問しましたが、芸術作品としての陶磁器は、私にとってあまりに難解でした。私の知識をもって、写真なしであれこれ説明するのは不可能だと悟りました。芸術、難しすぎる。

 結局、2日目は名古屋⇒枇杷島⇒勝川⇒高蔵寺⇒八草⇒愛・地球博記念公園⇒八草⇒岡崎⇒豊橋⇒小田原と移動したわけですが、馴染みの薄い土地をずっと列車で移動するのって、結構疲れますね。

 

名古屋めし総集編 -結局、食べ物の話しか興味ないでしょ-

「味仙」の台湾ラーメン

 愛知での食事もいくつかご紹介します。

 一日目の夕食は味仙の台湾ラーメン。これが台湾ラーメンの本家です。なぜ名古屋名物なのに「台湾」ラーメンなのでしょうか?それは台湾出身の方が名古屋で作り始めたからです。

 しれっと出される割に相当辛いです。東京のザコい台湾ラーメン・台湾まぜそばの感覚でがっつくと、むせます。愚かな私はその辛さを知らずに大盛を注文し、水をがぶ飲みしながら格闘しました。

 ラーメン上の「挽肉」部分をなんとなくそれっぽく作るのは難しくなさそうですが、そこで見事な調和を生み出せるのはさすが元祖の技量といったところでしょうか。ボソボソしていなくて美味しいです。

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挽肉は映えません。画像の質については何卒ご寛恕賜りたく...

 ちなみに台湾ラーメンは、台湾では「名古屋拉麺」と呼称されているそうです。この料理が生まれた経緯を踏まえれば理解できますが、なんだかジワりますね。

きしめん

 二日目の朝はきしめんです。太くて平たいうどんです。きしめん並みに平たい説明で済ませます(激寒)。

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「駅釜きしめん」の鴨南蛮きしめん

 パスタもラーメンも太麺好きの私にとって、駅の麺屋に「きしめん」という選択肢があることの喜びは大きいです。太い麺には小麦の旨みがあります。太い麺にはすすった時の躍動感があり、太さによって指数関数的に増大する食べ応えがあります。

スガキヤ」のラーメン

 中京地区の人がよく話題にする「スガキヤ」。名古屋が発祥だそうです。ラーメン一杯が税込みで330円(!)。大学の食堂並みに安い。味は煮干し風味のある、すっきりとした豚骨スープです。

 価格帯の違うラーメンと殴り合いをさせるのはフェアではないので、大学の食堂で出てきたラーメンを思い出しつつ比較していきますと、決定的に異なるのは麺なのではないかなと感じました。こちらは麺がマトモなのでおいしく食べられます。逆に言うと、大学生協のラーメンって、謎のブニブニちぢれ麺が諸悪の根源だったのでは。

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330円のラーメンってシンプルにすごくないですか?

 スガキヤといえば独特の「ラーメンフォーク」が名物とのことで、実際に使ってみましたが、先端のフォーク部分に麺がうまいこと絡むのが不思議なんですよね。よく滑り落ちないなと感心しました。

「最後の晩餐」、ひつまぶし

 帰り際に豊橋で食べたのはひつまぶし。おひつに鰻がまぶしてあるので「ひつまぶし」です。ひまつぶしではありません。お茶漬け風にしたり、薬味と混ぜたりしながら食べる、うな重の変種だと思ってもらえれば近いと思います。

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「長楽」のひつまぶし。鰻っておいしいね。蒲焼さん太郎とは別物だね。

 安い鰻はやや臭みがあるので、安物ばかり食べていると「鰻の旨み、ほとんどが蒲焼のたれ説」に同調しそうになるんですが、それなりの値段の鰻はやっぱり美味しいですね。魚肉なのにフワフワ感があります。鰻の薬味といえば山椒のイメージが強いですが、意外にもネギとの相性が抜群でした。

 ついでに肝吸いというもの(画像右下)を初めて賞味しましたが、これも大変美味しいですね。魚の出汁がよく出ている上に、全く臭くなかったです。肝はコリコリしていて、ホルモンの感覚に近いです。それにしても冷酒とよく合う。くぅ~!

 低価格でもおいしい鯵や秋刀魚と違い、「おいしく食べられる鰻は高い」という感じですが、ケチらなければ値段相応の味を楽しめます。スガキヤラーメンの15倍以上もの金額を支払いましたがね。愛知では、昼食と夕食の間にとんでもないインフレが起こり得るようです。

 

首都圏に飽きたら、どこ行く?

 天に星、地に花、そして人には愛知が必要です。愛を知らない人間が哀しいのと同じで、愛知を知らない人間もまた哀しい生き物です。6000字も書いておいてこの結論はいささか強引ですが、読者諸賢も首都圏や京都・大阪の旅に飽きたら、愛知旅行は如何でしょうか。近世からずっと豊かな東海地方の歴史と産物、それに加えて食の愉しみが、愛知にはあります。

 それではみなさん、ごきげんよう

「コロナ後」の世界で、またお会いしましょう

筆を執るのは久しぶり

 お久しぶりです。くろぱんです。ブログ上ではかなり長いことご無沙汰していました。私は職場にて立場を弁えない放言を繰り返し、先輩方はそれを大変面白がって聞く、という日常が1年近く続いてきたため、「わざわざブログ上でぶちまけたい話」という手札がありませんでしたが、コロナ禍とそれに伴う在宅勤務(自宅軟禁)によって久しぶりに手札がたまってきました。ということで、暇を持て余した諸賢に、お配りしましょう。一人暮らしですから話し相手が足りないんですよ。

 

世界は変わるよいつまでも

 コロナ禍がもたらす影響は不可逆的なものです。そりゃそうです。「コロナ前」の経済・政治情勢と「コロナ後」のそれは違うものです。当たり前です。では疫病だけが世界を大きく変化させるのでしょうか?そうではありません。義和団事件世界恐慌スターリン批判、キューバ危機、9.11、リーマンショック等々、疫病絡みでなくとも、我々の社会は大きな変化を経験してきました。

 キツめの風邪が流行ろうが流行るまいが、常に時は流れ、それを巻き戻すことはできませんし、政治も経済も目まぐるしく変わり続けます。その変化を完全に予測することなんて、端から不可能です。今更自分が「変わりゆく世界」の中に存在していることについて不安と焦燥感と怒りを肥大化させても、一文の得もありません。スウェーデンが集団免疫を獲得しようとしている今、日本が集団ヒステリーになるようでは、呆れたものです。

 我々がすべきこと、我々が向かっていく方向...そんなものがはじめから明確だとしたらこんなに日本も世界も悩みません。そして展望や改善策は今は分からなくとも、そのうち見えてくるでしょう。私が現時点で断言できることは、東京モンが医療体制の脆弱な石垣島をウロつくのは罷り成らんということぐらいです。

 

落ち着け

 疫病に係る問題の大半は、あなたがジタバタしてもどうしようもありませんし、この程度の伝染病で人類は滅びないでしょう。罹患したくなければむやみに外出しなければよい。当座の資金が足りなければ借りればよい。会社の対応に不満があるなら辞めればよい。あなたが政治家とか、信用の無い弱小ベンチャーのトップとかでもない限り、問題とその対処法はシンプルです。時間が余ったら、掃除か勉強でもしましょう。スキルアップとクリーンアップの好機です。

 世の中には自力でコントロールできる要素と、できない要素があります。あなた自身の行動はコントロールできます。仕事を辞めたり、投票に行ったり、江ノ島に行ったり、もしくはそれを控えたり。それらはあなた自身の裁量です。しかし東京の(汚い)一角で感染が広まったり、隣県の知事が(どうしようもない)無能だったりすることについて、あなたが関与する余地は無いでしょう。今はこの禍殃に際し、自力でコントロールできないことについて、あれこれ悩む段階ではないと思います。

 

こんな時こそ明るくいこう

 こんなご時世だからこそ、明るく生きていきましょう。物事の悪い面ばかりでなく良い面も、もっと見つめましょう。

 在宅勤務、結構広がりましたね。完全に定着したとまでは言えませんが、少なくとも、在宅勤務を推進する上での課題は炙り出せたのではないでしょうか。これを機に、知的労働に従事する諸賢は「毎週月曜から金曜まで、満員電車に押し込まれながら出勤する必要は無い」ということに気付くことができたのではないでしょうか。

 日本、意外と清潔ですね。欧米ではこの疫病が爆発的に広まった国も多いですが、それらと比べて日本は善戦しています。各々、行政その他に注文を付けたい部分もあるでしょうが、ひとまず我が国の公衆衛生の水準は賞賛に値するものだと言えそうです。

 観光の需要も無くならないでしょう。自粛要請が始まったころから、「旅行に行きたい」等々の声が聞かれるようになりました。私も旅行に行きたい。我々現生人類は、アフリカで誕生して以来、世界各地に広がっていった旅人たちの子孫です。多くの人間は「自分の生活圏を離れて歩き回りたい」という欲求を持っているものです。私は観光需要で飯を食っている立場にありますが、都会の満員電車はこれから先、少なくなっていくとしても、観光列車は無くならないと思っています。「コロナ禍が明けたら、旅行需要で稼いだ金で、旅行にいくぞ!」という心持ちでいます。

 

雲行きが怪しいときこそ「人々の中の太陽」であれ

 明けない夜はありません。止まない雨もありません。気に病むこともありません。先日、GW明けで久しぶりに出社した際、年度末時点で会社の負債がかなり増大していることが判明しましたが、「これを完済した日には、自分の借金じゃないにしても、すげぇいい気持ちになるだろうなぁ~」と呟いたら、先輩に「君は松岡修造を超越している」と言われました。周りも爆笑です。

 閉塞感が漂うご時世の中でこそ、周りを明るくさせられるポジティブシンキングの本領が発揮されます。読者諸賢も、今後もどうせ生きていくのですから、暗い雰囲気を吹き飛ばす「太陽」として生きていくことをおすすめします。

 それでは皆さん、「コロナ後」の世界で、そして笑顔で、またお会いしましょう。

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コロナが明けたら、沖縄の海を見に行こう

ガキにコーヒーの素晴らしさは分かるまい

 ごきげんよう。くろぱんです。ブログの記事を書くのは実に久しぶりですので、ほんの少々、近況報告させてください。

 最近の私は、経理部門で出納を担当しています。経理は数学ができないとダメだと思っていたのですが、実際のところは、私のような数学ダメ人間でも全く問題なくできる仕事でした。小学生レベルの四則演算ができれば大丈夫です。計算は電卓とエクセルが迅速かつ正確にやってくれます。やる前から色々と下らない理由をつけて怖がっていた自分が恥ずかしい。

 閑話休題。今回は多少、刺激的な表題にしてみましたが、要は「人生の『お楽しみ』はこれからだぜ」って話をしていきたいと思います。

コーヒー、山菜、イカの塩辛

 子供は難しい味が嫌いです。上記3点を好んで嗜む5歳児とかは稀有だと思います。苦いもんね。山菜どころか人参やピーマンにすら苦戦する子、沢山いるもんね。では、大人である読者諸賢は如何でしょうか。勿論、全員がコーヒー好きということはないとは思います。しかし、新作が出るたびにスタバに行く人、始業前にコーヒーを飲んでいる人、多くいらっしゃるかと思います。コーヒー好きの皆さんはつまり、苦み・酸味のある飲み物の良さも理解できるようになっているということです。山菜や塩辛も同様です。年配の方はこういった食べ物が好きな方が多いようですが、子供にそれらを食べさせても大半は「うぇ...」と言われるのが関の山でしょう(ちなみに私はゼンマイが好きです...)。

 ググって頂ければ「子供は苦いものが嫌いな理由は舌にある味蕾の数が云々...」といった解説にアクセスできますので、理由の話は他に譲ることにしますが、つまるところ、人は歳を重ねるうちに「苦味」「酸味」を味わう力を得るということです。バニラアイスやハンバーグのような「分かりやすい」味でない食べ物も楽しむというのは、大人の特権なのかもしれません。

辛苦・辛酸も味わい深い人生の一要素

 バニラアイスやハンバーグに限らず、子供が欲しがるものは「分かりやすい」ものです。それが『アンパンマン』のような繰り返される勝利の物語だったり、「電車の運転士さんになる」という夢だったりするのです。そして、成長するにしたがって、少し難しいものも次第に理解できるようになるわけです。たしかに思春期の人は、「ちょっと酸っぱい」くらいのものがお好みでしょうか。青春ラブコメは一辺倒なモテの話じゃつまらないし、かといってあまり難しい話はウケないですよね。ターゲットである若い男女は小難しい哲学の話なぞ求めていないのですから、『アオハライド』くらいがちょうどいいのです(隠すつもりは毛頭ないですが、世代がバレバレ...)。青春はしばしば「甘酸っぱい」と形容されますが、それくらいの味わいが、青春を送っている当人たちには最も丁度良いのでしょう。

 難解なもの、すぐに答えが出ないもの、挫折、後悔。あの頃の自分ではどうしようもなかったこと。そういったものの魅力はガキを卒業して、思春期を過ぎて、大人になってからやっと分かってくるものです。皆さん一人ひとりが、クソガキ時代から今日に至るまで、失恋をはじめ様々な辛苦辛酸を味わってきたかと思います。「あの時の苦労があったからこそ、今の自分がある」そう胸を張れば良いと思います。我々の人生が、見栄バレバレの「サクセスストーリー」とか、高校時代から相思相愛だった美女(イケメン)と結婚する話とか、そういう分かりやすい筋書きになっている必要性なんて、全く無いと思いますよ。

ガキに人生の素晴らしさは分かるまい

 別に「分かりやすい」ものを一切断つべしと言いたいわけではないです。コーラを飲んでもいいし、久しぶりに『アオハライド』を観るのもいいと思います。ハンバーグ、いくつになってもうまいよな。それ+αで「苦いもの」の味も分かるというのが、大人の至上の喜びだと、私は思います。

 器というものは、練られてかき回され、灼熱の炎に焼かれて、やっと完成するわけです。人生を送る(=一人の人間として生活していく)ということはすなわち、苦労して大きくしてきた自身の「器」に日々、メロンソーダが注がれたり、苦くも薫り高いコーヒーが注がれたりしながら、それらを味わい、「嚥下する」ようなものでしょう。そんな、色々な要素が詰まった人生こそ「素晴らしいもの」だと気づける広い視野を持つようになれれば、人生を楽しむ大人になれるのではないでしょうか。私もまだまだ道半ばですけどね。

 それではみなさん、ごきげんよう

 

追伸:完全に私事ですが、私は今月から仕事終わりに経理の講座に通うことになりました。しばらく頻繁に横浜に出入りしますので、地元の友人諸賢はまた気軽に飲酒大会にでも誘ってください。

学修の簡単な振り返りと後輩のみなさんへの軽いアドバイス

 ごきげんよう。くろぱんです。先々週の土曜日に卒業論文口述試験を終え、その日のうちに郷里へ帰省し、さらにはその翌日に祖父の一周忌法要(これは色々と面白かった)を終えたのですが、その矢先に身内に不幸がありまして、卒業旅行(中国鉄道周遊)に必要なパスポートも受け取りに行けていない等、色々と困った事態になっていした。まあそんな慌ただしい一週間でしたが、来週からは普通の実家暮らしに戻れそうです。

 卒論の口述試験はおそらく合格したかと思われます。通例、不合格であった場合にはその場で単位認定されないことが通達されますので、そのようなことがなければ合格ということになります。自分の研究室の卒論の実態と対策はごく一部の人にしか需要がないので、ここでは詳説しませんが、研究室の後輩には卒論に係る種々の事柄についてキチンと伝達してあげたいと思います。

 そんなこんなで、卒論を終えてもなかなか暇になれませんが、いわゆる「スキマ時間」に大学で学修の振り返りと後輩の方々への簡単なアドバイスくらいはできるもので、こんな記事を少しずつ書き進めていたりします。

大学でのカリキュラムを修了して

 幸いなことに、私は単位をほとんど落とすことなく卒業を迎えることができそうですが、今日、大学での学修を振り返ってみると、私は「留年せずに卒業するために必要なタスクをこなす」ということに終始した4年間だったように思います。

 大学4年生になると、多くの学生が一通りの単位を取得し、ゼミ・卒論+α程度の単位を取得するだけでよくなり、卒業の見通しが立つようになります。その際に「自分は大学で何を学び、何を得たいのか」についてのビジョンをきちんと持っている人は、研究に熱中できていたように思いますが、私はそういった明確なビジョンを持っていませんでした。それゆえ、卒論のための研究には苦労しました。3年生までの「単位集め」と大学での4年間の集大成としての「研究」は随分と性質の異なるタスクです。(北大文学部の)普通の講義は毎回きちんと出席し、要点を押さえて勉強していれば単位を取れたわけです。しかし、私は卒論準備において、「それぞれのタスクをどの程度やらなければならないのか」の基準をなかなか掴めずにいました。今振り返ってみれば、学問的な探求に終わりなんてない上に、教授が「合格基準」を明示なさらない以上、そんなものは掴みどころがないです。そんな基準より、研究対象そのものにもっと目を向けるべきだったのかもしれません。

 卒論に関して言えば、研究と執筆を進めれば進めるほど、自分の研究がいかに不十分なのか思い知らされますよ。怖い怖い。

「受験生」から「研究者」へ

 私は受験勉強をそれほど苦にしないタイプの人間でしたので、大学受験はそこそこ頑張れたように感じます。日々の演習問題から入学試験問題に至るまで、高校・大学受験はきちんと勉強さえしていれば、クイズ感覚で解けるような問題ばかりです。世界史は特に「クイズっぽさ」を感じていたので大好きでしたし、英単語を覚えるのも得意でした。古文も、単語と文法さえ押さえれば得点を稼げることが分かってからは随分と楽しくなりました。数学だけは基礎があやふやで全然ダメでしたが。北大は基礎を徹底的に勉強した上で、過去問や模擬試験から出題の形式と傾向を押さえれば難なく受かる大学だと思いますし、私でもそんな感じで北大生になれたわけです。

 高校でも、大学でも、第一志望に受かった人は、要点を押さえて暗記することで受験を乗り切ってきたタイプの人が多いように感じます。というか、高校のテストや大学受験向きの勉強をしようとすると、遅かれ早かれそういう勉強の仕方になる場合が多いかと思います。受験は「傾向と対策」を意識して取り組むのが得策ということでしょう。しかし、大学に入っても「傾向と対策」のようなテクニックだけで学習を続けると、特に大学生活後半の研究で躓いたり、不完全燃焼気味で終わってしまうきらいがあるようです。

 基礎的な教養科目や第二外国語を除いて、大学のテストは高校受験と違ってクイズ感が薄いですし、2年生になるころには、大学での学びと受験勉強とでは随分ノリが違うということに、薄々気付くかと思います。後輩の皆さんは、単位を得られるように努力することも大切ですが、ぜひ、与えられた課題をこなすこと(≒単位集め)から一歩飛び出して、探求したいと思える学問分野を探してみるとよいかと思います。要点を押さえた「傾向と対策」に注力する「受験生」から、自主的に学びたいと思った分野について、(たとえ4年間だけだとしても)広くなおかつ深く探求する「研究者」に変身できれば、大学での学びはきっと有意義なものになるでしょう。

ゼミ・研究室選びが超重要

 結局のところ、私の学修を振り返ると、「ゼミへの取り組み方≒研究への取り組み方」だったと思いますし、大学入学以来燃え尽き気味ながらも、なんとか卒論を完成させられたのは、2年から今期まで受けていたゼミからドロップアウトしなかったからだと思います。ゼミ選び・研究室選びは指導教員を選ぶこととほぼ同義ですし、ゼミ・研究室の選択が、最終的な研究分野の選択の一歩手前になるわけですから、ここが大学での学びの最大のキーストーンになるはずです。ゼミ・研究室選択を控えている方は、これをおろそかにせず、ぜひ、熟考した上でゼミ・研究室を決めるのがよいかと思います。大学での研究を実りあるものにしたいと考えている方は、その選択の日までに、「無限の情熱を注げる学問分野」を一生懸命探されるとよいかと思います。

 

 

...「くろぱん本人が燃え尽き&不完全燃焼気味だったくせに、偉そうなこと言ってんじゃねぇよ」って、思った方へ。後日、燃え尽き大学生のための単位収集術についても一応記事にしようと思っていますので、乞うご期待。ごきげんよう。さようなら。

先行きはいつも不透明

ごきげんよう。くろぱんです。

元日からあっという間に10日が過ぎましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

去る1月8日には同じ学部の友人と青春18きっぷ富良野・美瑛・名寄・旭川へ行ってきました。富良野・美瑛は道内屈指の観光地ですが、これらは夏期(特にラベンダーが開花する初夏)に観光客が殺到する町でして、オフシーズンは比較的閑散としているため、我々は混雑を気にすることなく観光を楽しむことができました。とは言っても、名物のオムカレーを食べて富良野線に乗ることが当地での目的だったので、大した活動はしていませんが。

小さなディーゼルカーの窓から見える大自然は旅人を惹きつけるものがあります。富良野のラベンダー畑も美瑛のパッチワークの丘も、一面の銀世界になっていました。その美しさを伝える写真が撮れればよかったのですが...

 

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まさ屋のオムカレー

前置きが長くなってしまいましたが、今回は、車中での(大したことない)考え事をこの記事に書き留めておこうと思います。

5年前の未来予想図と現状が随分と違っている

2014年1月の私は、世界史以外の勉強をサボりっぱなしの高校2年生でした。そんな私が北海道大学に合格し、親元を離れて恵迪寮生になるだなんて...

2015年1月の私は、法曹の道に進もうと思っていました。日大から早慶上智や北大に至るまで、様々な大学の入試を受験しましたが、ほとんど法学部しか受けませんでした。そんな私が文学部に移行するだなんて...

これを2018年1月ver.まで書き連ねているとキリがないのでこの辺にしておきましょう。

私は高校時代を通して「北大合格」への希望を持ち続けていたので、北大への入学は「夢のような展開」ではあったものの、そのビジョンが全く無かったわけではありません。しかし、恵迪寮入寮は北大合格発表前の軽いノリで入寮出願した結果ですし、文学部移行なんてものは入学時には全く予想だにしなかった展開でした。さらに、髪の毛を緑色にして周囲にドン引きされるし、大した動機もなく札幌⇔小樽往復70kmを歩く展開は謎すぎて意味不明だし、鉄道好きで車には興味がないのに結局自動車の運転免許を取得しちゃうし、地元神奈川の鉄道会社(正確には持ち株会社ですが)に就職することになるし...この5年間、他にも実に様々なことがありましたが、もう自分の人生に自分でビックリしてしまいます。

優秀な「予想屋」になれなくてもいい

2019年の日本も、まるで往時のくろぱんの髪色のごとく、様々なものが目まぐるしく変わっていくことでしょう。そしてそんな変化の激しい時代ですから、メディアには数多くの「予想屋」がひしめき合っています。AI、グローバル化、仮想通貨、日韓関係などなど、様々な話題について、あまたの予想屋が各々の自説を開陳し、時にはみなさんの不安を煽ったりしています。居酒屋でも色々な人々が色々な予想について語っています。

予想好きな人が予想を立てるのは別に結構です。しかし、全員が5年後、10年後といった遠い将来の正確な見通しを立てなければいけないわけではありませんし、ましてや皆がその予想通りに生きていなければいけないわけでもありません。人生は予期せぬ出来事の連続ですから、まともに見通しが立たなくても、それはそれで構わないと思います。

暗中模索を楽しんでいこう

自分の未来にしても、多摩川競艇にしても、そう簡単には予想通りの展開にならないものです。競艇や競馬の予想屋も(それで生計を立てているプロなのにも関わらず)しばしば予想を外すものです。ボートレースよりずっと複雑な人生や社会について、見通しが立たなかったり、予想通りにいかなかったりするのも、ごく自然なことだと思いますよ。「AIの台頭が我々の人生をどう変えるか」なんて、そんなものは誰にも分らないでしょう。

自分のこと、自分を取り囲む社会のこと、あれこれと予想するのもいいですが、予想通りにならないことばかりで疲弊する必要はありませんし、悪い展開ばかり予想して不安に駆られながら生きていても楽しくないと私は思います。人生なんて、見通しの悪い靄の中を進んでいくようなものです。その靄の中から面白そうなものを手探りで引っ張り出していくような心意気で、人生を楽しめればいいな、と思う今日この頃です。

それではみなさん、ごきげんよう

今年もお世話になりました

こんばんは。くろぱんです。

もう年末か!!

早くも大晦日になってしまいました。毎年、大晦日には「一年という月日が経つのは早いなぁ」という感想しか出てきません。でも楽しかったので良かったです。間延びした一年よりずっと素晴らしい気がします。

今年は免許、就活、食中毒、旅行に卒論...様々な(どうでもよい)話題で人々をざわつかせることとなりました。大学4年の2大イベントである就活と卒論もお陰様でどうにかなりました。

この記事をご覧の皆さんのご支援のおかげで楽しい思いをしたり、課題を乗り越えたりできました。厚く御礼申し上げます。

光陰矢の如し。あっという間の期間ではありました。しかしながら沢山の人に支えられて、無事にこの年のしめくくりを迎えることができました。大変ありがたいことです。

年に数回しか会わない人にも感謝

親元を離れて(恋人もいない)大学生活を続けていると、「毎日会う人」という存在はいません。しかし、「人と会わない日」というのはこの一年間で一日もありませんでした。毎日、様々な場面で様々な人に助けられました。

今年の種々の成功を支えて下さった人は、年に数回~一週間に一回程度しか会わない(会えない)人ばかりです。皆々様、「いつメン」じゃない私を支援して下さってありがとうございました。来年も、というより、社会人になって色々な人と離れ離れになりがちな来年こそ、より一層、会う頻度に関係なく、有能な皆さんとの価値ある関係を大切にしたいと思います。

 

それでは美人・賢人の皆様、良いお年をお迎えください。