ガキにコーヒーの素晴らしさは分かるまい

 ごきげんよう。くろぱんです。ブログの記事を書くのは実に久しぶりですので、ほんの少々、近況報告させてください。

 最近の私は、経理部門で出納を担当しています。経理は数学ができないとダメだと思っていたのですが、実際のところは、私のような数学ダメ人間でも全く問題なくできる仕事でした。小学生レベルの四則演算ができれば大丈夫です。計算は電卓とエクセルが迅速かつ正確にやってくれます。やる前から色々と下らない理由をつけて怖がっていた自分が恥ずかしい。

 閑話休題。今回は多少、刺激的な表題にしてみましたが、要は「人生の『お楽しみ』はこれからだぜ」って話をしていきたいと思います。

コーヒー、山菜、イカの塩辛

 子供は難しい味が嫌いです。上記3点を好んで嗜む5歳児とかは稀有だと思います。苦いもんね。山菜どころか人参やピーマンにすら苦戦する子、沢山いるもんね。では、大人である読者諸賢は如何でしょうか。勿論、全員がコーヒー好きということはないとは思います。しかし、新作が出るたびにスタバに行く人、始業前にコーヒーを飲んでいる人、多くいらっしゃるかと思います。コーヒー好きの皆さんはつまり、苦み・酸味のある飲み物の良さも理解できるようになっているということです。山菜や塩辛も同様です。年配の方はこういった食べ物が好きな方が多いようですが、子供にそれらを食べさせても大半は「うぇ...」と言われるのが関の山でしょう(ちなみに私はゼンマイが好きです...)。

 ググって頂ければ「子供は苦いものが嫌いな理由は舌にある味蕾の数が云々...」といった解説にアクセスできますので、理由の話は他に譲ることにしますが、つまるところ、人は歳を重ねるうちに「苦味」「酸味」を味わう力を得るということです。バニラアイスやハンバーグのような「分かりやすい」味でない食べ物も楽しむというのは、大人の特権なのかもしれません。

辛苦・辛酸も味わい深い人生の一要素

 バニラアイスやハンバーグに限らず、子供が欲しがるものは「分かりやすい」ものです。それが『アンパンマン』のような繰り返される勝利の物語だったり、「電車の運転士さんになる」という夢だったりするのです。そして、成長するにしたがって、少し難しいものも次第に理解できるようになるわけです。たしかに思春期の人は、「ちょっと酸っぱい」くらいのものがお好みでしょうか。青春ラブコメは一辺倒なモテの話じゃつまらないし、かといってあまり難しい話はウケないですよね。ターゲットである若い男女は小難しい哲学の話なぞ求めていないのですから、『アオハライド』くらいがちょうどいいのです(隠すつもりは毛頭ないですが、世代がバレバレ...)。青春はしばしば「甘酸っぱい」と形容されますが、それくらいの味わいが、青春を送っている当人たちには最も丁度良いのでしょう。

 難解なもの、すぐに答えが出ないもの、挫折、後悔。あの頃の自分ではどうしようもなかったこと。そういったものの魅力はガキを卒業して、思春期を過ぎて、大人になってからやっと分かってくるものです。皆さん一人ひとりが、クソガキ時代から今日に至るまで、失恋をはじめ様々な辛苦辛酸を味わってきたかと思います。「あの時の苦労があったからこそ、今の自分がある」そう胸を張れば良いと思います。我々の人生が、見栄バレバレの「サクセスストーリー」とか、高校時代から相思相愛だった美女(イケメン)と結婚する話とか、そういう分かりやすい筋書きになっている必要性なんて、全く無いと思いますよ。

ガキに人生の素晴らしさは分かるまい

 別に「分かりやすい」ものを一切断つべしと言いたいわけではないです。コーラを飲んでもいいし、久しぶりに『アオハライド』を観るのもいいと思います。ハンバーグ、いくつになってもうまいよな。それ+αで「苦いもの」の味も分かるというのが、大人の至上の喜びだと、私は思います。

 器というものは、練られてかき回され、灼熱の炎に焼かれて、やっと完成するわけです。人生を送る(=一人の人間として生活していく)ということはすなわち、苦労して大きくしてきた自身の「器」に日々、メロンソーダが注がれたり、苦くも薫り高いコーヒーが注がれたりしながら、それらを味わい、「嚥下する」ようなものでしょう。そんな、色々な要素が詰まった人生こそ「素晴らしいもの」だと気づける広い視野を持つようになれれば、人生を楽しむ大人になれるのではないでしょうか。私もまだまだ道半ばですけどね。

 それではみなさん、ごきげんよう

 

追伸:完全に私事ですが、私は今月から仕事終わりに経理の講座に通うことになりました。しばらく頻繁に横浜に出入りしますので、地元の友人諸賢はまた気軽に飲酒大会にでも誘ってください。