2020年を終えるにあたって(間に合わなかった)

 ごきげんよう。くろぱんです。予め言い訳しておきますと、ただいま大変酔っぱらっています。碌に推敲もせず書くものですから、いつも以上に乱文だとは思いますが、寝正月の暇潰しとして読んでもらえれば幸いです(あとで大幅に編集・加筆するかもしれません)。

 

予想などできない

 2019年の大晦日、私は独りで台北にいました。私は無学なので中国語ができないのですが、漢字だけで書かれた文章を必死に「読み下す」ことで一週間を乗り切りました。文章は何とかなる(メジャーな観光地なら英語併記どころか日本語で書いてあったりもする)のですが、中国語で話すことと聴くことだけはさっぱりできません。それでもカウントダウンの日は台北101の下、群衆のなかにいました。近くの広場でショーがあって、ØZIが歌っていました。中国語のラップは全く分かりませんでしたが、周りに合わせて騒いでいました(帰国してからYouTubeで字幕と共に聴くと大意がつかめるのは、なんとも不思議な感覚です。表意文字ってすげえな)。

 閑話休題台北101のカウントダウンは圧巻でした。台湾で一番高いビルから花火が舞い散るのです。あの時、あの摩天楼を数えきれないほどの人間が見上げていて、そのなかの誰がコロナ禍など予想し得たでしょうか。2020年を振り返るにあたって、ウイルスの広がりと社会の移り変わりに呆然とさせられます。

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平穏な年になると思っていた

 半年以上前の話で恐縮ですが、緊急事態宣言のころに「コロナ禍の下であれこれ悩んでも仕方がない」という記事を書きました。

kuropan.hatenadiary.jp

今でもその心境にほとんど変わりはありません。コロナの危機は未だ終わらず、多くの人間が東京の感染者数を見る度に右往左往しています。あれから半年以上が経ちましたが、「ウィズコロナ」の世界は禍福ともに見通せません。私自身、件の宣言の後、お上から配られた10万を握りしめ、補助を貰って日本各地を彷徨う日々がやってくるとは思いませんでした。新手の肺病が私を更なる旅行狂にするだなんて、意味が分かりません。

 つまるところ激動の社会情勢しかり、メンヘラの思考しかり、やはり自分でコントロールできないことについて予想を立ててもろくすっぽ当たりませんし、あれこれ考えるだけ時間の無駄でしょうね。

 

ただ、後ろに生々しい現実がある

 しかしながら、正直なところ、当時の私はもう少し早くコロナ禍が終息するだろうと心のどこかで思ってもいました。長期戦のさなかですが、振り返れば、社会のなかで「建前」「理想」とか、それを下支えする「余裕」といったものが少しずつ削られていって、すぐ後ろに生々しい「現実」が迫ってくるような感覚がありましたね。

 「大手の正社員にならなくてもいい」とか、「職業に貴賎なし」とか、「自分のキャリアは自分で決める」とか、「老いに負けない人生を歩もう」とか...そういったある種の夢見がちな建前や理想は、この危機を前にして脆く崩れてしまいそうな気がします。派遣社員の雇用打ち切りは遠い世界の話ではないし、地元の小さな会社は資金難で苦しんでいます。また、いくら心身の若々しい人でも高齢者は高齢者であり、新手の肺病は容赦なく年長者を襲います。医療従事者その他エッセンシャルワーカーと「不要不急」の仕事をする人々の扱われようの違いのなかにも、不気味な「差異」が横たわります。緊急事態宣言の頃、開店しているパチンコ屋が叩かれましたが、本当にあれでよかったのか、私は未だに答えが出ません。

 私自身に目を向けても、こんにち自分が貧苦にも病苦にも喘がずに新年を迎えられるのは、売り手市場の中で無事に採用され、大資本の恩恵に与る若い正社員だからだとも言えます。それは時の運によるところも大きいと認めざるを得ません。

 なるべく明るく前向きに物事を捉えたいとは思っていますが、この1年、感染症との苦闘と経済的な苦難が同時並行でやってきて、社会は疲弊し、余裕を失ったことは確かでしょう。自分自身のことでも社会全体のことでも、希望も理想も娯楽もコロナ前より遠ざかっていってしまったような息苦しさがあります。

 

それでも進むしかない

 感染症と経済問題のふたつを乗り切って生きていくということは、砲火の下を駆け抜けていくようなものなのかもしれません。業界全体が傾くような経済苦の「大砲」を避け、感染症という「銃弾」に当たらずに死地を抜け出すのは、運次第の部分もあります。しかし斃れる恐怖に怯えているだけでは前に進めません。立ち尽くしている方が危険です。今は自分でコントロールできる事柄について考え、行動していくしかないのでしょう。家計のこと、仕事のこと、精神衛生のこと等、熟考の余地があることについてはよく悩めばよいし、つまるところ見通せないこと、自力ではどうしようもないことについては鷹揚に構えるしかないのです。社会情勢は厳しいかもしれませんが、せめて気持ちだけは明るく、前向きに歩みを進めるほかないようです。

 きっと今年も色々なことがあると思います。少なくとも今年中ごろまではコロナ禍は終息しないと思いますが、苦難のなかでも「よりよく生きる」という意欲と、「よりよく生きられる」という希望を捨てないでいたいですね。

 そんなところで「酔」と「睡」でくたばりそうな私からの駄文はここらで〆にしたいと思います。

 2021年が読者諸賢と私の互いにとって実り多い年になれば何よりだと思います。色々あっても、一つ一つ乗り越えていきましょう。今年も何卒よろしくお願いいたします。

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北大植物園にて。今年も何回か札幌に行こうかなと。