満足の基準は低いほうが得している

ごきげんよう。くろぱんです。

ポーランド戦、皆さんはご覧になりましたでしょうか。日本は晴れて決勝トーナメントに出場することになりましたね。国内外のサッカーファンや居酒屋のおじさん達の中では、西野監督の采配に賛否両論があるようですし、私自身の中でも色々な考えが渦巻いている最中ですので、またそのうち、自分の考えがまとまった際にはその話題で記事を書くかもしれません。それにしても、ワールドカップは面白いですね。既に前回大会優勝国のドイツは敗れ去り、ロシアはスペインを下しました。勝負というのはやってみなければわからないですし、試合前の下馬評というものはあくまで下馬評に過ぎないということを様々な場面で思い知らされます。

さて、今日の本題です。

笑いのツボは浅いほうがよい

皆さんの周りに「笑いのツボが浅い人」はいるでしょうか。しょうもない話でもゲラゲラ笑っている人です。何を隠そう、私もそういう人なのですが、「笑いのツボが浅い人」は往々にしてバカにされるんですよね。確かに周りからしたら、つまらないネタでも爆笑しているヤツはバカに見えるのは事実だと思います(実際くろぱんはバカだと思いますが)から、バカにしている人の気持ちはよくわかります。しかしこれだけは言わせてほしい。

「笑いのツボが浅い人は得しているし、なかなか笑わない人は損している」

シンプルに考えてみてください。笑いたいことがなかなかない人より、いつも笑える出来事や話が沢山ある人のほうが幸せでしょう?笑いのツボが浅くて損することは「絶対に笑ってはいけない○○」に出演したときにお尻を叩かれまくるぐらいです。あとは基本的に得することばかりです。「笑う門には福来る」ということわざがあるように、笑いが幸せを呼び寄せてくれるということもありますから、皆さんも「アホくさい」「子供っぽい」とかつまらないことを言わずに、ちょっとしたことでも笑うようにして、笑いの基準を下げていってほしいと思います。

「ストライクゾーン」も広いほうがよい

私がここでいう「ストライクゾーン」というのは、「異性の恋愛対象」のことです。ちなみに、私の「ストライクゾーン」はだいぶ狭いです。非常に狭いです。おまけに面食いです。そのせいで大いに損してきたと思います。なかなか誰も好きになれないわけですから。逆に、「ストライクゾーン」の広い人々は、いつも恋愛を楽しんでいます。たとえフラれても、あっという間に立ち直ります。すぐに違う人を好きになって、新しい恋にドキドキワクワクしています。また、「ストライクゾーン」の広い人々は、ちょっとした男女混合の集まりでも「かわいい女の子と遊べて楽しかった」「イケメンと喋れてよかった」という感想がポンポンと出てきて、満足そうにしています。私はそういった人々を「どんだけ基準低いんだよ」とバカにしたがるのですが、ストライクゾーンが広い人のほうが狭い人よりも得していることはひしひしと感じるんですよね。私は「笑いのツボ」に関しては「得する側」に回り、「ストライクゾーン」に関しては「損する側」に追いやられているため、「基準が低いほうが得しているよな」ということを余計にハッキリと感じるのです。

くだらない話で恐縮ですが、私は昨年から「ストライクゾーンを広げる活動」に取り組んでいます。本題から逸れるので詳述はしませんが、アホな活動だとは思いつつ、試行錯誤を楽しんでいます。

安物で満足しているほうが幸せ

消費とお金の話でも、同じようなことが言えますね。世の中には、高価なものを買い求める人が沢山います。ベンツやロレックス、果てはランボルギーニやパテックフィリップにまで手を出して自慢をしたがるお金持ちがたくさんいます。トヨタプリウスのほうがランボルギーニスーパーカーよりずっと燃費がよく、カシオのG-SHOCKのほうがロレックスの機械式時計よりずっと耐久性があって精度が高いにも関わらず、です。

高価なものをたやすく買えるだけの財力があるに越したことはありませんし、高級車や高級時計を買い求める人を嘲笑するつもりもありません。ただ、気を付けてほしいのは、高級品志向には「消費するモノの価格の基準が上がってしまう」という非常にリスキーな陥穽が潜んでいるということです。当然ですが、高級品を消費する際には多額の金銭を必要とします。

 

①自分より歳を取ったワインを飲みながら立派なフランス料理を食べる

発泡酒を飲みながら吉野家の牛丼を食べる

 

①のほうが②よりもお金がかかっていますし、「お腹を満たし、酒に酔う」ことに関しての費用対効果を見れば、①は②にボロ負けです。さて、ここで質問です。他の条件が同じだとして、①でないと十分に満足できない人と、②でも十分に満足できる人、どちらのほうが幸せが身近にあるといえるでしょうか。私と、その他大勢の斜に構えていない人々の答えは後者だと思います(「①ができる財力がある人」と「②しかできない貧乏人」のどちらが幸せかを問うているわけではないです)。

財力がない、もしくはなくなってきているにも関わらず、先ほど述べた陥穽に嵌ってしまい「お金を使わないと満足できない」状態から抜け出せないのは不幸なことです。財力は有限ですから。加齢に伴って落ち目になったキャバ嬢・風俗嬢・ホストとか没落した成金とかはこういった問題に直面しがちですね。確実に幸福でありつづけるためには、「牛丼や発泡酒でも幸せが得られる」状態をキープしておくことです。金持ちであろうが貧乏であろうが、「(友人や家族と)食事をするだけで感じられる幸せ」に立ち返り、安酒や粗食にも感謝の心を忘れないことが、満足のいく人生をもたらしてくれるのではないでしょうか。

満足の基準は低いほうがよい

今日の結論です。小さなことでも満足できる人間は幸せですし、それを目指すことは幸せへの第一歩だと思います。ちょっとした話でもゲラゲラ笑う。ブ〇でフル〇起(卑猥ですみません)。安酒でも気分爽快。それでいいと思います。見栄っ張りな貴族(笑)のしょうもないマウンティングなど、高らかに笑い飛ばしてしまいましょう。私は「不満足なソクラテス」よりも「大満足なくろぱん」を目指していきたいと思います。皆さんも、10円の駄菓子を買って満足していたあの頃のような心で、日常を見つめてみてはいかがでしょうか。

それでは皆さんごきげんよう。さようなら。

...なんで大学の講義での課題レポートって2000字でも面倒なのに、この記事は易々と2500字を超えているんだ...?

失敗しないんだったら学校行く意味ないでしょ

コロンビア戦、勝ちましたね

ごきげんよう。くろぱんです。コロンビア戦は友人宅で観ていたんですが、やっぱり勝ち試合というのは気分がいいですね。正直なところ、試合前、ファルカオハメス・ロドリゲスクアドラードといった有名選手の方々にボコボコにされるのではないかと思っていただけに、嬉しかったですね。日本代表は前評判が悪かったものですから(私も「今年はダメだろうな...」と思っていました。すいません。)コロンビア戦の勝利という結果には多くの方が驚いたかと思います。コロンビアの人も驚いたと思います。勝負というものは、やってみなければ結果は分かりませんね。

失敗していこう(そしてめげずに頑張ろう)

さて今日の本題です。学生はたくさん失敗すればいいという話です。学生なんて、大金と警察と健康が絡むトラブルさえ起こさなければ、他のしょーもない失敗ごときでビクビクすることなんて、ないと思いますよ。

みなさんがはじめからなんでも上手くいく全知全能人間だったら、学校に行って学ぶ必要なんてないと思います。我々がそもそも「ダメ人間」だから、学校へ通って色々と学ぶことを通して、「以前よりマシになろうとしている」わけです。知らないことがあるから、学校へ行って学ぶ。できないことがあるから、学校で習って、できるようにする。「知らない」「できない」を改善させるために学生は学校へ通っているわけで、学びはじめの時点で知らないことやできないことがあるのは当たり前じゃないですか。そう思えば、学生時代の失敗なんて、別に怖くないですよね。恥をかくことを過剰に恐れたりするから失敗が怖くなってしまうだけです。

「あなたの失敗談を教えてください」

就活でよく遭遇する質問ですね。面接官の意図は様々だとは思いますが、「失敗した体験をもとに努力したり、方法を変えて再挑戦できる人かどうか」を見ているのは間違いないと思います。失敗体験から何を考え、何を得たのかを見れば、どんな意識をもって失敗と向き合っているのか、大なり小なり見えてくるわけですからね。人間、失敗なんていくらでもやらかします。失敗のない人生なんてありません。失敗してしまった経験をもとに、改善を図ることこそが大切なんです。学生なんてなおさらです。失敗と改善を繰り返してナンボって感じです。

何を隠そう、私も失敗の多い人生を送ってきました。いわゆる旧帝大に入っているので周りからは「成功者」としての部分ばかり見られがちですが、実際には、私もたくさんの失敗を積み重ね、恥をかいてきました。勉強のこと、部活のこと、友人関係のこと、恋愛のこと、寮生活のこと等々、失敗の種類は多岐にわたり、一つ一つ事例を挙げていればキリがありません。現在も研究室でよく大ヘマをやらかしていますし、2年の時には無能すぎて担当教授を大いに困惑させていました。この前は好奇心が勝って半生のササミを食べ、カンピロバクター食中毒になりました。しかし、自分が行きたい高校・大学へ行き、入りたい会社から内定を貰えたのは、挑戦し、失敗し、改善を繰り返してきた、今までの人生があったからこそです。くろぱんが太陽の化身のようにニコニコしながら生きている裏側では、失敗が多分に含まれたPDCAサイクルが勢いよくグルグルしているわけです。

新社会人も学生と大差ないのではないか

社会人になったことがないので、あくまで私の仮説でしかないのですが、新社会人も学生同様、失敗を恐れてビクビクする必要はないのではないか、と考えています。新社会人の方々は慣れない仕事に苦戦し、多くのことに失敗し、時には会社に大損害を与えることでしょう。もちろん放置するわけにはいかないので誰かが何か言うのは当たり前だと思いますが、新社会人がいきなり主戦力になることは難しいことなんて、新卒採用をやっている時点で織り込み済みのことだと思います。教育の手間や失敗のリスクが少ない人を採用することに固執するなら、会社は中途採用しかしませんが、そうでなくて新卒を採用するということは、新社会人が失敗することなんて百も承知の上で新卒を受け入れ、育て、伸ばしたいと思っているということです。自身が採用された背景を考えれば、新社会人も、仕事の失敗など、大して恐れることはないと思うのですが、みなさんのお考えはいかがでしょうか。

これは余談ですが、2000年代中盤から、新卒採用のくせに「即戦力」を求めるアホ行為が横行した時代がありましたね。しかし、私は今年、就活をしていたなかで、「即戦力」を重視する姿勢を打ち出す企業に遭遇することは一度もありませんでした。「即戦力」採用の衰退は、景気が上向いて企業に余裕が出てきたからでもあるでしょうが、「新卒で即戦力が集まるわけがない」という(至極あたりまえの)知見が広まった結果であるようにも思えます。

今日の結論。学生や社会人なんて失敗してナンボですから、「失敗なんて怖くない、失敗を糧にして生きてやる」と思って生活していけば、死ぬこと以外全て、恐るるに足らずだと思います。

雨の降る季節ですが、風邪をひかないようお気をつけください。それではごきげんよう

勝ちにこだわるなら、勝ったときには思いっきり喜ぼうぜ!

ごきげんよう。くろぱんです。

おかげさまで、胃腸の調子は随分と回復してきています。昨日からは元通りの生活に戻れています。

さて、今日の話題に移りましょう。

うまくいったら素直に喜ぼう

サンシャイン池崎氏の画像を貼ろうと思ったんですが、「よくあるそこらへんのブログ」って感じがしたのでやめました。画像はないですけど、みなさんも、物事がうまくいって嬉しい気分のとき、あの人と同じくらい「イエーイ!」って喜んだらいいと思います。図書館と研究室以外でね。

「うまくいった!→嬉しかった!!」という体験を脳に刻み込もう

私の考えはこうです。サッカー選手はゴールを決めると大喜びしますよね。ゴールを決めたことが分かった時点で脳内にドーパミンやアドレナリンなど、快楽を感じるホルモンが出てくるので、大喜びしたい気分になっています。そして叫び、チームメイトと喜びを分かち合います。「シャウティング効果」によって、叫ぶと余計にアドレナリンが出ますから、もう脳は快楽物質まみれです。つまり、「めちゃめちゃ嬉しい」わけです。

ゴールを決めたサッカー選手に限らず、嬉しい思いをした人は、どう思うでしょうか。「もう一回あの嬉しさを味わいたい!」と思うはずです。そしてその思いが、「またうまくやるための鍛練」を行うモチベーションにつながっていく。嬉しいという思いが大きければ大きいほど、「もう一回味わいたい」という気持ちは強くなりますから、モチベーションも上げやすくなる。つまり、成功したときに喜べば喜ぶほど、その成功体験がその後の自分により大きな力を授けてくれる、と考えることができるのではないでしょうか。

野球選手は、いつもの試合でも大喜びしてるよね

「サッカーの次は野球の話かよ」と思われるかもしれませんが、もう少しご辛抱ください。

プロ野球選手はシーズン中、毎日のように試合をしています。サッカー選手よりも試合数は圧倒的に多く、日本の野球選手は(よっぽど弱いチームでない限り)サッカー選手よりも頻繁に「勝ち試合」を経験していることになります。じゃあ、勝ってもサッカー選手ほどには喜ばないんでしょうか。どうやら、そんなことはないようです。とりわけ、延長戦の末に勝った日なんか、すごい大喜びしていますね。去る4月、私はニュースで広島カープが延長戦を制した時の映像を見ていたんですが、(下がその試合の結果です)

プロ野球 - 2018年4月19日 広島vs.ヤクルト - スポーツナビ

(映像をお見せできなくて申し訳ないんですが...)彼らはチームメイトに走り寄ってきて水をかけたり、抱き合ったりして喜びを爆発させていて、見ている側の私もカープファンではないのに元気が出てきました。でも、彼らはその試合でリーグ優勝を決めたわけではありません。4月はペナントレースでもまだまだ序盤です。ヤクルトスワローズとの対戦機会も、延長戦にもつれ込むような試合も、残りのシーズンの中で、たくさんあるでしょう。でも、彼らは喜びました。大喜びしました。当時就活中で、「志望企業から内定を勝ち取りたい」と強く思っていた私は、その時、「勝ちにこだわるプロ野球選手は、一つ一つの勝ち試合を大事にしている」のだな、と気づかされました。

大喜び、していこう!

・ものごとがうまくいったときには大喜びしよう

・小さな「勝ち」でも大喜びしよう

私が今日、皆さんにおすすめしたいことはこの2点です。私はこの「気付き」を得てから、内々定が出たときに大喜びするのはもちろん、「自分の考えをハッキリと話し、良い雰囲気で面接を終えられた時」なんかでも大喜びしました。誰もいないエレベーターの中で大きくガッツポーズをし、帰りの電車の中でも、「私の頭の中の広島カープ」が大はしゃぎしていました。こうすることで、「さらに内定を勝ち取ってやろう!」という強い意志が生まれると同時に、面接そのものも楽しくなっていきました。靴を磨くとき、ネクタイを締めるときにも一層、気合が入りました。

わざわざ「内定なぃ...っらぃ...もぉまぢ無理...リスカしょ...」とのたまっている就活生の前に出てきてサンシャイン池崎氏ばりの大喜びをする必要はありませんが、友達や家族の前で大喜びするのは素晴らしいことだと思います。本当の友達なら、あなたの「勝ち戦」を共に喜んでくれますよ。私も、友人に嬉しいことがあった時には、共に大喜びしてあげたいと思っています。僻むのは損でしかないですからね。ぜひぜひ、みなさんも、「大人げない」とかつまんないこと言ってないで、新しい玩具を買ってもらえた子供のように、いつまでも大喜びしながら生きていきましょう。

みなさんと私の人生が、喜びに満ち溢れたものになりますように。それでは、今回はこれくらいでお暇をいただくことにいたしましょう。ごきげんよう。さようなら。

食中毒になりました

 カンピロバクター食中毒になりました

みなさんごきげんよう。くろぱんです。みなさんはお元気ですか。私は病気です。

就活の総括、日々の生活のこと、学祭の感想、オススメのお酒や腕時計など、前向きな話題を提供しようと思っていたんですが、こんな記事を書くことになってしまいました。みなさんは「カンピロバクター」という細菌が引き起こす食中毒がどういうものかご存じでしょうか。ご存じでない方は下のWikiをご覧いただければ概要が分かるかと思います。

カンピロバクター症 - Wikipedia

半生の鶏ササミでやられました

先週の土曜日、横浜で高校時代の同級生とカラオケに行った後、焼き鳥屋で飲み食いしていたのですが、そこで「焼き鳥の盛り合わせ」の中の一品として出された鶏ササミが半生でした。「中心まで火が通ってないかもな」とは思いましたし、半生の鶏肉に食中毒のリスクがあることも知ってはいました。食べてみると、やっぱり半生。味はマグロみたいでおいしかったので、完食しました。「河豚(ふぐ)は食いたし命は惜しし」ということわざがあるように、中毒リスクの高い美味や珍味に対する欲求と恐怖の葛藤は昔からあるんでしょうが、土曜日の私は「河豚は食いたし」の部分が勝って、食べてしまいました。それで昨日は吐き気、腹痛、激しい下痢はもちろん、発熱もあり、悪寒と頭痛にも悩まされました。一緒に件の鶏ササミを食した高校時代の同級生も、おとといから腹を壊してほとんど同じ症状が出ていたとのこと。潜伏期間の長さといい、症状と言い、食べたものの心当たりといい、カンピロバクターと断定して間違いないでしょう。食中毒は、食べたことを後悔しても後の祭りなのです。今日は病状がだいぶ快方に向かいましたが、昨日は最悪でしたね。もう二度と鶏肉の生食なんてするもんか。

鶏肉の生食は「リスキー」です

悪いのは私自身だと思っています。「おまかせ」の品目は知らされていなかったとはいえ、リスキーなのを承知の上で件の鶏ササミを完食したので、お店の人を非難するつもりはありません。食中毒の引き金になった飲み食いに付き合せてしまった高校時代の友人には、申し訳ないと思っています。彼女にはこの場を借りてお詫びします。ごめんなさい。

唸り苦しんだ末に一つ言えることがあるとすれば、鶏肉の生食はやはり「リスキー」だということです。生ないし半生の鶏ササミを一本食ったところで、絶対に食中毒になるというわけではないでしょう。割ときちんとした店構えの焼き鳥屋でも半生の鶏ササミが何気なく出てくるということは、それまで特に問題になっていなかったことの証左です。ですが、ひとたび食中毒が報告され、半生の鶏ササミを出していたことがバレれば、保健所から営業停止などの処分を食らうことは避けられないでしょう。実際、あの日の鶏ササミは、私たちが食した分以外にも提供されたでしょうし、それらが汚染されていた可能性は非常に高いはずです。あのお店はだいぶ危ない橋を渡っていたことになります。

この記事を読んでくれている方の中には飲食店を経営している人もいるでしょうし、飲食店のバイトをしている人もいるでしょうし、これからBBQやジンパ(北海道では「ジンギスカンパーティー」のことをそう呼びます)で鶏肉を食べるという人も多いでしょう。学祭で鶏肉を提供する人もいるでしょう。豚肉はもちろん鶏肉も中心までよく焼くことを強くおすすめします。そして飲食店で出された生・半生の鶏肉を食べることはおすすめしません。「リスキー」です。「カンピロバクターガチャ」で「アタリ」を引いて食あたりを起こす(させる)確率はそう高くないかもしれませんが、カンピロバクター食中毒が出れば、提供した側も食べた側も苦しい思いをすることになります。梅雨時は食中毒の多い季節でもありますから、みなさんどうかお気を付けて。

最後になりますが、私の体調はもうだいぶよくなっています。そしてカンピロバクターはインフルエンザ等とは違って、便の処理や手洗い等に留意していれば人から人へ感染することはないので、最近私とお会いした方に伝染している心配は要りません。普段からきちんと手洗い等をしていますので、潜伏期間中に会った方でも心配はご無用です。ご心配をおかけしてしまってすみません。

長文失礼しました。それではごきげんよう。さようなら。

「習うより慣れよ」ってな

ごきげんよう。くろぱんです。

いろいろな思惑があって、ブログを開設することになりまして、こんな場所でご挨拶をすることになりました。今後ともよろしくお願い致します。

基本的に日々の雑感はTwitterで発信してきたのですが、140字というそこそこタイトな字数制限があるということや、過去に遡って参照したり、整理したりすることが難しいという面などを考慮した結果、ブログでつらつらと述べたほうがいいこともあるかな、ということでブログを始めようと思いました。

私は「頭ゆるふわオプティミスト」ってことで、Twitterでも本当にしょーもないことばかり垂れ流しているわけですが、このブログにおいても、私の頭のゆるさが大いに反映された記事を書いていきたいと思っています。また、私は社会問題への関心が薄いもので、どうしても個人的な話ばかりになってしまうかもしれませんが、いつものクソツイートよりはもう少し読み物として価値がある記事を書いていきたいなと意気込んでおります。

習うより慣れよ

って世間ではよく言われていますね。私もそう考えて、その場の勢いで深夜2時にブログを書いています。とりあえず行動してみたのです。行動しないまま、「ブログ開設しておけばよかった...」って後悔しながら死ぬよりは、クソブログを開設して学者とか底辺労働者とかに教養の差や数の暴力でボコボコにされたほうがマシかなと思っています。何もしないより、そのほうが学ぶことが沢山ありますからね。

私は三日坊主な怠け者で、このブログも長続きするかは正直なところ、分かりません。でも、自分なりに長続きできている活動も無いわけではないのです。Twitterが長続きしているので、ブログも長続きするかもしれません。「オイラは三日坊主なのですが、ここまで続けてこれたのは云々~...」という挨拶をしている人、よくいるじゃないですか。そのうち自分もそんな挨拶をこの場で述べられたら幸いだなと思っております。

それではみなさんごきげんよう。さようなら。